最近、ふと10代のころのことを思い出す。
娘と同じ高校生だったころの自分が見え隠れするからだろうか。
あの頃は友達が一番で、友達を守るなら先生や親、はたまた友達の親にまでくってかかっていた。
怖い物知らず・・・・今の子達以上に蒼かったと苦笑してしまいます。
そしてその頃の私は、大人のずるさ、曖昧でごまかそうとするところや、陰でこそこそ言いながら、相手に愛想をふるまうところが大嫌いで、『大人になりたくない』と本気で思っていた。
その青臭い正義感が自分で自分の首をしめて、気がつくといつも役員の長をまかされていた。
でも、いろいろ経験してくると、自分の青臭い正義感で、大切な人が傷つけられたりすることがままある。なぜ、私の放った刃は直接帰ってこないで、他に向けられるのか・・・
そんなことがいくつもあると、じぶんの言葉を出せなくなてしまう・・・
青臭い物は封じ込めて、長いものにまかれることに抵抗がなくなってしまう・・・
あの頃の自分には、今の自分はどう見えるだろうか。
青いということは、時には残酷なこともある。人それぞれ思うことはちがうのに、自分が正しいと思い込むと、相手をつい攻撃してしまう。
昔、大姑さんが、ごはんの度に子供に甘い物をくれるのが嫌で、土下座して「やめてください」と言ったことがある。その後、親戚一同から責められたけれど、それ以上にお姑さんのことを「あのとき何故止めなかった」と責めていることを聞いて、『もう二度とさからうまい』と苦い思いをしたけれど、今にして思えば、私たちはあまりにも忙しすぎて、ご飯のときにしかゆっくり顔を合わせなかったし、お年寄りは機敏には動けない。 だからご飯のときに、子供にお菓子をくれることがお婆ちゃんにとっても精一杯だったのだと思うと、自分が恥ずかしくなってしまいます。
今、青い時代を一心に生きている娘達に伝えることは、「相手が何故そんな行動や言動に走ったか、ときには相手の立場になって考えてごらん」と言うくらいです。
あの頃の私のように、「嫌いなものは嫌い!!」だけじゃあ、駄目だったと話しながら、それでも、きらきらした物を遠くに置いてきたような寂しさが、秋の哀愁をさらに深めています。